2016年02月16日

プロフィール バイオグラフィ

《Profile》
元アーティスト
元アニソン歌手
元ナレーター
自称コンポーザー

【バイオグラフィ】
1978年 
中学2年生でギターを購入。
Fも押さえられないのに
無謀にも曲作りを始める。

1984年 
高校卒業後アースウィンド&ファイアー
に憧れバンド結成。
がVoの技量が追いつかず
ロックバンドに鞍替えする。

1990年 
人望が薄く、徳もなく、
人間関係を構築できないままバンド解散。
メジャーデビューの夢も消え
「もう二度と人と関わりたくない」
という理由から、
打ち込み音楽に矛先をかえ、
作詞・作曲・アレンジに没頭する。

1992年 
門前払いされながらも
レコード会社に足しげく通い、
やっとのことで中谷美紀など
メンバーに擁する『Key West Club』に
楽曲提供する。

1993年
なんとなく勢いづき
『持田かおり』のデビュー曲を
任せていただくも、
ELT結成後「ソロ時代は封印しよう」
との理由で、持田香織のプロフィールから
Nieveの文字は永遠に削除される。

1996年 
作曲家とし『勇者指令ダグオン』の
OPテーマに挑み、落選するも、
ひょんなことからボーカリストとして抜擢される。
オープニングテーマ「輝け!!ダグオン」
エンディングテーマ「風の中のプリズム」
がOAされ脚光を浴びると、
これは新境地開拓か? と思いきや
アニソン歌手としてのオーラが足りず、
以後オファーは一度たりともない。

1997年
『タモリのボキャブラ天国』で
Voナレーションをしながら
本田美奈子、西田ひかるに楽曲提供するも、
ますます心は荒んでいき、
「自分は人間そのものに
向いてないのでは?」と認識しはじめる。

1999年
他人を羨み、社会を妬み、
孤立が板についてきた三十路過ぎ、
突如デュオユニットプロジェクトの
オファーが舞い込み『Love Comedy』を結成。
ストリートライブ中心にファンに
支えていただきながら話題を呼び、
デビュー前にも関わらずから
文化放送の『カモンファンキーリップス』の
パーソナリティに抜擢され、
渋谷公会堂でワンマンライブを果たしたのち、
「諦めていたはずのメジャーデビュー」
を手にする。
しかしシングル3枚、アルバム2枚を
リリースしながらも、
オーラの薄さは一向に改善されず
1年余りで契約解除となる。

2000年
自らのセコい人間性に嫌気がさし、
音楽から身を引くも、
心あるスタッフの励ましにより一念発起。
すると身の丈に合わない
メロディが天から降ってきて
『Tina』の楽曲に採用され、
アルバム「Orario」が
初登場オリコン3位にチャートイン。
35歳にして初めて、
人と向き合い、人に感謝し
「これからは誠実に生きよう」
と遅すぎる決意を口にする。

2005年
『ツバサクロニクル』の
オープニングテーマ「BLAZE」〜KINYA〜で
作曲担当させていただき、
同時平行しながら
3ピースユニット『Wo』を結成。
初めて理想の音楽と向き合い、
4年間に渡り全身全霊で挑み続けるも、
至福の時はハラリと指をすりぬけ
web配信3曲のみを残したまま想いは砕け散る。

2009年
書き溜めていた小説「ひとひらのしずく」
「虹のない4分音符」で
某文学賞に応募するも一次選考
通過したところで、これまた力尽きる。

2010年
せめて最後に音楽界に恩返ししたい」と
微かな想いを胸に、
某作家プロダクションに所属させていただくも、
さっぱり成果を出せないまま
恩返しどころではない。

2014年
首の神経系の病気を煩い、
マウスさえ握れなくなり、
もはや音楽はおろか、すべての希望が断たれる。
ただ風に身を委ね、「人生とは何なのだろう…?」
という壮大なドラマと向き合いながら、
あてどもなく空を見上げる始末。
ポツリとツイートした
「いや、嘘だ…。人生こんなはずじゃない、
なにかの間違いだ…」
を最後にSNSをログアウトする。
ラベル:nieve biography
posted by Nieve at 13:17| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | プロフィール・バイオグラフィ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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